始祖 |
松井道珍は大和国十市より南都に移住して製墨業を始める時、天正5年(1577年)当時製墨法が未熟であったので 「延喜図書寮造墨式」「李家製墨法」「空海二諦坊油煙製墨法」等により研究を重ね良質墨の製法を開発しました。 その功に依り(土佐掾)の官名を賜りました。 |
二世 |
道慶の自庭の一隅に梅の古木があり、来訪の文人墨客みなその古木を賞揚したので、これを園号とし古梅園の称ここに はじまりました。 |
三世 |
道壽は徳川幕府の用達を受け江戸に駐し、諸候邸の用命を承りました。 |
四世 |
道悦は父の不在中よく家を守りました。 |
五世 |
元規は儒者伊藤仁斎の門をくぐり、学業を修め東庵と号しました。 |
六世 |
元泰は元文四年(1739年)幕府の許を得て崎陽(長崎)に依り清人墨家程丹木、任君奇、等と交わり彼我製墨技術の 交流を計り紅花墨の試作を南部の息子元彙に命じ成功しました。また古梅園墨譜四巻、墨談、墨話等を著しました。 |
七世 |
元彙は紅花墨を完成し、墨譜後編を著しました。以後、墨と言えば古梅園と同一語に用いられる程人々に定着いたしました。 |
八世 |
元孝、九世、元誼は共に(和泉掾)を賜り家業泰平でした。 |
十世 |
元長は(土佐掾)の官命を賜っておりましたが、明治維新に際し官名を奉還して宮内省御用達となりました。 |
十一世 |
元淳は奈良市名誉市長を勤め大正四年営業を会社組織に改めました。 |
十二世 |
貞太郎は貴族院議員、奈良市名誉市長を歴任、製墨業界に貢献しました。 |
十三世 |
元慎は終戦時の激動期に際してもよく弊園400年の老舗を堅守しました。 |
十四世 |
元祥に引継がれ古梅園はなら墨づくりを継続しました。 |
十五世 |
松井淳次に引継がれました。 |
十六世 | 現在、松井晶子に引継がれております。 |
株式会社 古梅園
Copyright(c) 2020 kobaien All Rights Reaeved.